逃げ口上「仮定の質問には答えられない」の不思議 | 専門分野と弁護士費用の疑問に答えます
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逃げ口上「仮定の質問には答えられない」の不思議

 昔から多くの政治家や政府関係者が回答に窮すると頻繁に使用する常套句として,「仮定の質問には答えられない」というものがあります。最近では,日本大学アメリカンフットボール部のタックル問題での前監督らの記者会見でも,司会者がこの常套句を使っていました。
 しかし,なぜ仮定の質問に答えられない(答えない)のか,その理由(正当性)はよく分かりません。別に,仮定の質問というだけで,それが論理的におかしいわけでも,回答不能であるわけでも,議論のルールとして禁止されているわけでもありません。それにもかかわらず,多くの野党議員や記者は,「仮定の質問には答えられない」と返答されると,それが当然であるかの如く,簡単に引き下がってしまいます。それが不思議でなりません。

「事実の問題」と「見解の問題」との違い


 このようなことが平然とまかり通っているのは,質問者側が「事実の問題」と「見解の問題」との違いを明確に意識していないため,回答者側のゴマカシ・逃げに対し的確に反論できていないからだと思います。
 ここで話を整理するために,「事実の存否やその内容を問う質問」と「一定の事実(仮定的事実を含む)を前提としてそれに対する見解を問う質問」に分けて考えてみたいと思います。

 事実の存否やその内容が議論のテーマとなっている場合には,発言者自身の意見や推測を求めても意味がなく,仮定の質問(あるいは意見や推測を求める質問)は制限されるので,基本的に「仮定の質問には答えられない」というのは当然であって,質問を受けた者がそのような返答をするのも理解できます。
 たとえば,裁判(訴訟)では,裁判所が証拠に基づいて事実を認定し(当事者間では事実の存否やその内容が主張立証のテーマとなっている),これに法を適用して一定の判断を下すので,証人尋問において,証人は自ら経験した過去の事実に基づいて証言するのが基本です。そのため,訴訟では,証人の経験した事実に基づかない意見や推測の陳述を求める質問は原則として禁止されています(民事訴訟規則115条2項5号,6号,刑事訴訟規則199条の13第2項3号,4号)。したがって,証人が仮定の質問(過去の事実のうち自ら経験していないものや将来起こり得る事実に基づく意見や推測を求める質問)に答えられないというのは,十分に理解できます。

 他方,議論の中には,事実の存否やその内容自体がテーマではなく,事実の存否やその内容は不確かかもしれないが,ある事実を想定(仮定)して,それに対する見解が問われるべき場合もあります。もちろん,過去の明白な事実に反することや,将来およそ起こり得ないことを仮定して,それに対する見解を求めることは,ほとんど意味がありません。そのような質問に対して「仮定の質問には答えられない(答える意味がない)」と言うのであれば尤もだと思います。しかし,存在したかもしれない過去の事実や,将来起こり得る事実を想定(仮定)し,それに対する見解が問われるべき場合は大いにあります。
 特に,政治の世界(国会の場)です。政治の世界では,常に将来起こり得るあらゆる事実を想定(仮定)して政策決定をしなければなりません。将来起こり得る事実について,仮定の事実だからといって,それに対する対策を持ち合わせていない(仮定の質問には答えられない)というのであれば,とても話になりません。また,政治家が過去の事実について責任を問われた場合に,その時点でその事実が真偽不明であったとしても,その事実が明らかになった場合の対処の仕方を答えることは,何ら不可能な(仮定の質問には答えられない)ことではなく,誠実な政治家であれば自らの政治姿勢を示すために重要なことです。

 たとえば,「川内原発の稼働中の原子炉が弾道ミサイル攻撃の直撃を受けた場合,最大でどの程度の放射性物質の放出を想定するのか。避難計画・防災計画作成の必要性は最大で何キロメートル圏の自治体に及ぶと想定しているのか。」(第188回国会質問第14号・山本太郎参議院議員の平成26年12月24日付質問主意書)との質問に対し,安倍首相は「仮定の質問であり,お答えすることは差し控えたい。」と返答しています(平成27年1月9日付答弁書)。しかし,原発原子炉が弾道ミサイル攻撃を受けることは,将来起こり得る事実であって,当然そのような事実を想定して対策がとられるべきですから,「仮定の質問」であることを理由に(「仮定の質問」という一括りで)回答を拒絶する正当性はないと思います(別の正当な理由で回答拒絶することはあり得ると思いますが)。
 また,「森友学園問題に関する公文書改ざん疑惑(平成30年3月2日の朝日新聞報道)について,仮に改ざん前の文書が存在すれば,内閣総辞職という認識でよろしいですか。」(同月5日の参議院予算委員会における山本太郎参議院議員の安倍首相に対する質問)との質問に対し,安倍首相は「全く仮定の話でございますので,お答えすることはできません。」と返答しています。しかし,改ざん前の文書の存在はその当時でも十分にあり得たことであって,山本議員の質問はそのような可能性を前提とした政府の政治姿勢を問うものですから,「仮定の質問」であることを理由に回答を拒絶する正当性はないと思います。

「仮定の質問は許されないのが常識である」という勘違い


 この「仮定の質問には答えられない」という常套句をむやみに使用する人々の中には,意見や推測の陳述を求める質問を禁止する訴訟(証人尋問)上の原則があらゆる議論の大原則であるかのように勘違いしている人も少なくないのではないかと思います。ディベートの指南書などには,仮定の質問は許されないのが常識であるかのように書かれているものがあるらしいですが,これを聞きかじって,その理由も考えず,あらゆる議論で「仮定の質問は許されないのが常識である」と勘違いしているのかもしれません。
 彼らは,「自分は議論の大原則を知っているぞ」,「あなた(質問者)は非常識だ」とばかりに,自信満々に「仮定の質問には答えられない」などと返答します。しかし,事実の存否やその内容自体ではなく,一定の事実(仮定的事実を含む)を前提としてそれに対する見解を問われている場合に,仮定の質問と回答拒絶との間には何の論理性もなく,仮定の質問であることを理由に回答を拒絶する合理性・正当性は全くないと思います。

 質問者側の多くも,自信満々に「仮定の質問には答えられない」と返答されると,仮定の質問と回答拒絶との間に何か論理性があるかのように錯覚し,あるいは「仮定の質問には答えられない」というのがあらゆる議論の大原則(常識)であるかのように思い込まされて,それ以上の追及を躊躇してしまっているように思われます。
 野党議員や記者は「議論のプロ」ですから,こんな「仮定の質問には答えられない」との返答が何の合理性も正当性もない,単なる回答拒絶にすぎないことを明確に示して,政府関係者に誠実な回答をさせるべく,議論を尽くしてもらいたいと思います。また,政府関係者には,回答拒絶するのであれば,もっとうまく論理的・説得的にその理由(正当性)を説明してもらいたいと思います。

 私は,思想信条的に野党寄りの見解に立っているわけではありませんが,このところの政府関係者の答弁を見ると,思想信条以前の問題として,あまりにも誠実さや説得力に欠けていると思います。もちろん,外交・防衛その他の正当な理由で回答を差し控えるべき場合もあります。そのような場合には,正当な理由を示して論理的に回答を差し控えるべきですが,論理的でなく筋の通っていない回答拒絶が多すぎるような気がします。代議制民主主義(民主政)では正常に議論が行われることが大前提ですから,質問に対して誠実に回答しようとしない人や,回答拒絶の理由(正当性)を論理的に説明できない人は,思想信条や政策の如何にかかわらず,議員(議論の当事者)としての適格性に欠けると思います。
 インターネット等を見ると,意外にも,山本太郎参議院議員の国会での政府に対する追及(「仮定の質問には答えられない」との逃げ口上に対する追及など)が,相当数の国民から高い評価を受けているようです。その中には山本議員と思想信条を異にする人々も少なくないと思いますが,これも,政府の対応があまりにも誠実さや説得力に欠けていることの表れだと思います。

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