毅然と,真摯に,冷静に。
私は,これまでの弁護士経験から,議論や交渉事において戒めとしている言葉があります。それは「毅然と,真摯に,冷静に。」という言葉です。
第一に,「毅然と」です。議論や交渉事では,自らの主張を通すために,当然ながら相手方の主張に怯んだり弱腰になったりしてはいけません。これは説明するまでもないでしょう。
第二に,「真摯に」です。議論や交渉事では,相手方や仲裁者(裁判の場では裁判官)を説得しなければならず,自らの主張を一方的に述べただけでは話がまとまりません。相手方や仲裁者を説得するためには,彼らの言葉にも真摯に耳を傾け,事実や論理だけでなく,彼らの感情や心理状態も踏まえた対応をする必要があります。
人は無意識のうちに自らの主張に都合のいい事実だけを取り上げて都合のいい理屈を通そうという傾向があるので,自分では正しいと思った主張でも,間違っている可能性があります。また,自分の主張が客観的事実に基づき論理的に正しいといえたとしても,相手方や仲裁者がこれを受け入れなければ話はまとまりません。このとき決め手になるのが相手方や仲裁者の感情に働きかけるということです。したがって,自らの主張の弱点や誤りを修正するためにも,また,相手方や仲裁者を説得するためにも,彼らの言葉に「真摯に」耳を傾けるという姿勢が大切です。
ちなみに,「事実はなぜ人の意見を変えられないのか 説得力と影響力の科学」(白揚社,ターリ・シャーロット著,上原直子訳)という本には,人の説得において事実や論理がいかに非力であり,最後は感情のコントロールが決め手になるということが科学的に解説されています。大変興味深いので,是非一読されることをお勧めします。
第三に,「冷静に」です。議論や交渉が白熱してくると,誰しもが程度の差こそあれ感情的になって冷静さを失ってしまいがちです。冷静さを失えば,合理的な判断ができなくなり,また,けんか腰になって,議論とは関係ない人格非難や侮辱的な言葉で相手方を攻撃するような事態にもなり,それによって話がまとまらなくなります。さらには,仲裁者(裁判の場では裁判官)にも悪印象を与え,それによって自らに不利な裁定(裁判)が下されることにもなりかねません。
言葉によって主張に説得力が増すわけではない
私の経験でも,裁判の場において,準備書面(裁判所に提出する主張書面)で挑発的な表現を使ってくる人(弁護士)がしばしばいます。このような傾向は,比較的若手の弁護士,その中でも自信満々の人に多いのではないかと思います。このような表現を使う人は,その言葉で相手をやり込めたと思って,スッキリしているのかもしれません。しかし,その言葉によって主張に説得力が増すわけではなく,かえって品性のなさを示すだけで,裁判官にも悪印象を与えることになりかねず,何のメリットもありません。
私も,若い頃は,準備書面で皮肉を込めた表現を使ったり,相手の挑発的な表現に反応したりすることもありましたが,今では,このような表現はスルーして冷静に対応するよう心がけています。さらに,主張の中身自体で相手方の感情を刺激する結果になるのはやむを得ないことですが,本筋とは関係のないところではなるべく相手方の感情を揺さぶらないように努めていきたいと考えています。そのような姿勢は裁判官にも好印象を与えると思います。
私が受任した最近の事件でも,相手方代理人(弁護士)がやたら挑発的な表現を使ってくるものがありました。主張の中身が立派であればまだいいのですが,主張自体はスカスカで,裁判期日当日になって主張書面を提出するなど訴訟対応も不誠実でした。これに対し,私は,相手方の挑発的な表現はスルーする一方で,争点に関しては,やる気のない相手方の主張にも真摯に向き合って反論しました。その結果,当方にとって予想を超える有利な裁判が下されました。その裁判は,過去の慣例や実務の一般的運用とは違うイレギュラーな内容でした。このような裁判が下されたのは,基本的には双方の主張立証の内容によるものだと思いますが,多少なりとも,相手方の挑発的な表現や不誠実な態度が影響したのではないかと思います(相手方が誠実に対応していれば,少なくとも裁判所から相手方に対し適切な反論を促すような訴訟指揮をしてくれたかもしれません。)。
日韓関係の悪化について
政治に目を転じてみると,このところの日韓関係の悪化については,国内の一部論者において,日本側(政府,マスコミ,国民)に冷静さや自制を求める論調が見られます。なかには,日本側のほうが悪いかのような見解を示す論者もいます。しかし,韓国側の対応と比較して,日本側に冷静さが欠けているとは思えません。韓国のいくつかの地方議会では,特定の日本企業を「戦犯企業」と指定して,その製品を購入しないよう努力義務を課す条例案が可決されましたが,その異常さはかなりのものです。このような韓国側の対応には触れず,日本側の対応を問題視する論者の感覚がよくわかりません。
もちろん,韓国側の対応如何に拘わらず,日本側は冷静さを失うことがないよう常に注意しなければならないと思います。ただ,日本側に冷静さや自制を求める論調が「日本側が日韓関係悪化以前の対応に戻れ」ということであれば,ちょっと違うのではないかと思います。
日本は,戦後,韓国に対して,「腫れ物に触れず」という感じで,何かにつけて遠慮(良く言えば「大人の対応」)を続け,長らく「毅然と」という姿勢が欠けていました。その積み重ねが今日の日韓関係(日本が韓国に対し正論さえも主張しづらい雰囲気)を招いたのではないかと思います。このところの日韓関係悪化は,日本がそれまでの姿勢を変えて「毅然と」という態度を示したことによるものにすぎず,その態度自体に何ら問題はないと思います。
小野寺五典元防衛大臣は,日韓関係の在り方について「丁寧な無視」という表現を使っていましたが,これは,まさに「毅然と,真摯に,冷静に。」という姿勢を示したものであると思います。また,今回の内閣改造で厚生労働大臣に内定した加藤勝信衆議院議員は,「いたずらに答えを出しても長続きしない。根本的解決を図るなら,韓国側と安易に妥協すべきではない。」,「戦前・戦中だけでなく戦後の歴史を含めて,何をしてきたのかしっかり主張すべきだ。」と述べています。これが本来のあるべき姿勢ではないでしょうか。
これに対しては,「将来のビジョンが見えない」とか「解決を放棄している」などの批判(韓国が態度を変えない以上,結局は日本が譲歩すべきであるとの意見)があります。人間には本能的に「不確実(不確定)であることに対する不快感」(前出135頁)という感覚があるので,何がなんでも一定の結論を出したいという気持ちも分かります。しかし,必ずしも一定の結論を出さなければならないわけではありません。また,一定の結論を出すことが必ずしも真の解決になるわけでもありません。国家間の問題では,こちらが筋を通して妥協点を見い出せない以上,無理して譲歩する必要はなく,相手国によっては「あえて白黒つけない(結論を出さない)」というのも有効な対応(一つの解決策)であって,解決を放棄しているわけではありません。