中野信子著「ヒトは『いじめ』をやめられない」を読んで | 専門分野と弁護士費用の疑問に答えます
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中野信子著「ヒトは『いじめ』をやめられない」を読んで

 先日,日本テレビの人気番組「世界一受けたい授業」に,青山学院大学を箱根駅伝連覇に導いた原晋監督が出演されていました。今や原監督は各地の講演会にも引っ張りだこで,同番組の紹介によると,講演会人気講師ランキング第1位だそうです。私が注目したのは,その「講演会人気講師ランキング」第3位に,脳科学者の中野信子氏が挙げられていたことです(ちなみに,第2位はジャーナリストの田原総一朗氏だそうです)。

 原監督といえば,団体競技である駅伝で青山学院大学を強豪校に育て上げたことから,「組織づくり」(人間関係の形成,コミュニケーションなど)が講演のメインテーマのようですが,中野氏は,脳科学の見地から人間関係のあり方などを説いた著書で有名です。先ほどの「講演会人気講師ランキング」の顔ぶれからは,多くの方々が人間関係(人付き合い)のあり方に強い関心を持っていることが窺われます。中野氏については,一昨年11月に「サイコパス」(文春新書)という著書が出版され,大変話題になったことから,ご存知の方も多いと思います。

 この「サイコパス」は大変興味深い内容でしたが,昨年10月に出版された,中野信子氏の著書「ヒトは『いじめ』をやめられない」(小学館新書)も実に興味深いものでした。以下,簡単にその内容の一部をご紹介します。

いじめのメカニズム

 ヒトは,長い人類の進化の過程で,生存競争を生き抜くために共同体を形成し,共同体にとって「邪魔になりそうな者」を排除しようとする機能を本能的に備えていったと考えられます。ただ,共同体を維持するための正義感(仲間意識や規範意識)が行き過ぎて,フリーライダー(タダ乗りする人,協力行動をとらない人)だけではなく,身体的能力の劣る者,多数派とは異質の者や考え方の異なる者まで排除しようという現象が生じます。これが「いじめ」が発生してしまう根源的なメカニズムだそうです(18~26頁,46~52頁,156~158頁)。

 さらに,ヒトは「邪魔になりそうな者」を排除しようとするとき,ドーパミン(快感を感じる脳内物質)が分泌され,その快感がときとして理性を凌駕します。そのため,正義感が行き過ぎて「いじめ」に発展したとき,理性の歯止めが効かないことにもなるそうです(56~60頁)。規範意識の高い集団ほど「いじめ」が起きやすいということも指摘されています(34頁)。

いじめにどのように対処すべきか

 それでは,「いじめ」にどのように対処すべきでしょうか。中野信子氏は,著書の中でいくつかの「いじめ」回避策を提示していますが(123頁以下),私が特に関心を持ったのは,学校教育現場における「いじめ」に関する,子どもたちへの指導のあり方です(その他の「いじめ」回避策についても,興味深い内容ですので,是非,著書をご覧ください)。

 学校教育においては,理想論が先行して,初めから「いじめは悪いものだ」と教え諭そうとしがちではないかと思います。そして,子どもたちも,理屈としては一般的・抽象的にそれを理解していると思います。しかし,理屈として理解していることと,それを心の底から実感して腑に落ちることとは違います。腑に落ちることでなければ,なかなかそれを行動に反映させることは難しいと思います。特に,「いじめ」は集団の中で「ルールに従わない者に罰を与える」,「間違っている者を正す」といった「正義感」から発生し,「いじめ」をすることで正義達成欲求や集団からの承認欲求が満たされるという快感を得るらしいので(60頁),頭から「いじめは悪いものだ」と言われても,子どもたちが具体的事案に直面したときにそれを心の底から実感して腑に落ちることは難しいのではないかと思います。

 ヒトは基本的に利己主義(損得勘定)で行動しますが,それは,ヒトの本能であって,教えられるまでもなく,生まれながらにして身についているものです。「自分の不利益になる行動をしてはいけません」と言われれば誰もが納得します(腑に落ちます)。教育もそこからのスタートでいいのではないでしょうか。そのうえで,人類の進化と歴史の過程と同じように,個人の人生の中でも,経験と学習(教育)を積み重ねることで徐々に共感性や社会性を深めていくのではないでしょうか。

 かつて「利己的な遺伝子」(リチャード・ドーキンス著)という著書が世界的ベストセラーになりました。その著書にも書かれていたとおり(細かい話は割愛しますが),ヒトは生来的に利己的な生き物であり,ヒトのあらゆる行動は生存競争を生き抜くための手段であって,利他的行動も利己的動機に基づくものです。社会生活を営む我々にとって,社会の安定を保つこと,そのために社会のルールや道徳を守ること,他人を思いやることも,結局は個々人の利益になる行動であって,利己主義(個々人の利益)の延長線上にあります。その話を抜きにして,いきなり社会のルールや道徳を守ること,他人を思いやることを教え諭そうとしても,未成熟な子どもたちがそれを心の底から実感し腑に落ちて実践することは難しいと思います。

 先ほどのとおり,ヒトが共同体を形成して互いに協力し合うのも利己的動機に基づく行動であり,その延長線上に「いじめ」が発生するということです。しかし,「いじめ」が共同体ひいてはその構成員個人の利益になるかといえば,そうではありません。「いじめ」は,共同体を維持するための正義感(仲間意識,規範意識)が行き過ぎて機能不全を起こした結果として発生するものであって,全く合理性がありません。
 中野信子氏の著書(185頁,186頁)を私なりに解釈すれば,ヒトの本質から解き明かして「いじめ」のメカニズムを説明し,集団がときには誤った方向(「いじめ」,より大きな視点で見れば民族対立や戦争など)に進むこと,それが集団にとってもその構成員個々人にとっても不利益なものであることを教えることによって初めて,「いじめが悪いものであること」や「いじめに至った『正義感』が誤ったものであること」について,子どもたちが心の底から実感して腑に落ち,「いじめ」の回避・阻止につながるということではないでしょうか。

 以上は,いじめをする側やいじめをする(可能性のある)集団を管理する組織(学校など)が「いじめ」について考えるべき問題点ですが,いじめをされる側にとっては,このような「いじめ」のメカニズムや対処方法を理解しても,自分ひとりの力では解決できません。そして,いじめをされる側にとって,「いじめ」は深刻な問題であり,「いじめ」を原因とした自殺も少なくありません。

 しかし,先ほどのとおり「いじめ」には根深い問題があり,いじめられる側が自分ひとりで解決しようと思っても困難ですので,無理に自分ひとりで解決しようとしたり,解決策がないために諦めたり(我慢したり)しないでください。中野信子氏も著書(166頁,169~170頁)の中で指摘するとおり,そんなときは,思い切って,一定期間休学(場合によっては転校・退学)するなどによって,集団から距離を置くほかないと思います(転校や退学は重大な問題であって簡単にできるものではありませんが,それを躊躇して,いじめられ続ける,さらには自殺するなんて,とんでもないことです)。そして,自分ひとりで悩みを抱えず,是非とも,ご両親や先生方に相談してほしいと思います。「いじめ」は,あなた(いじめられる側)の責任ではなく,集団ないし集団を管理する側の責任として解決されるべき問題です。

人間関係の法律相談も増えている

 ここ数年,書店の新刊書コーナーを見ると,人間関係(人付き合い)に関する書籍が目に付きます。書籍の売れ行き傾向は世相を反映するものですし,先ほどの講演会人気講師ランキングの傾向からも窺われますが,多くの方々が職場,学校,各種コミュニティでのパワハラ,いじめなどの人間関係(人付き合い)に悩んでいるのではないかと思います。法律相談でも,職場でのパワハラや学校でのいじめの相談などが多くなってきていると感じます。

 集団ではなく個人による加害行為(パワハラなど)の場合には,集団による「いじめ」とは別個に考えなければならない問題がありますが,「いじめ」などの被害を受けている方は,まずは緊急避難として集団から距離を置いたうえで,自分ひとりで思い悩まず,是非とも,身近な人や関係者などに相談してほしいと思います。

 先日,私は,ある学校法人(私が監事を務める学校法人の一つ)が設置する高等学校の入学式に出席しました。新入生の皆さんは,高校生活への期待と不安をもって入学式に臨まれたことと思います。彼女たち(女子校です)が充実した高校生活を送るためには,「いじめ」などのない良好な人間関係を形成することが極めて重要です。高校を卒業した後の社会生活でも,多くの方々が思い悩んでいるように,良好な人間関係の形成は最も重要な問題であるといっても過言ではありません。仕事自体は充実しているのに会社内での人間関係に悩んで退職するという方々も少なくありません。

 先日の入学式に臨んで,新入生の皆さんの晴れやかな姿を見て,是非とも,彼女たちには,今から「いじめ」に関する適切な知識や考え方を身につけ,「いじめ」のない充実した学校生活を送ってもらいたいと思いました。

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