本ホームページは平成29年12月18日(大安)に全面公開しました。それまでは,弁護士登録して10余年の間,営業あるいは集客ということをあまり考えてきませんでした。弁護士という仕事は本来的に営利を目的としたものではなく,私自身も弁護士が積極的に営業活動をするということに違和感を持っていたからです。私が弁護士になったばかりの頃は,ホームページを開設するなどの営業活動をしなくても,多くの弁護士が真面目に仕事をしていれば自然と仕事が入ってきていたので,今のように激しい競争をする必要性もありませんでした。
近年は,弁護士大増員によって,多くの弁護士が何らかの営業活動をしなければならない状況に直面しています。単に弁護士間の競争が激しくなり,弁護士が互いに切磋琢磨して,能力のない弁護士が淘汰されるというだけであれば,あまり問題はなく,相談者・依頼者にとってはむしろ望ましいことでしょう。しかし,「弁護士の能力」というのは,一般の方々にはよく分からないと思います。その結果,宣伝広告に長けた弁護士が幅を利かせ,一般の方々に正しい情報が伝わらず,能力があって信頼できる多くの弁護士が,そうでない弁護士の中に埋もれて相談者・依頼者から選ばれない状況になっているのではないかと思います。
インターネットで弁護士や法律事務所を検索すると,上位表示されるものの多くは,弁護士登録してわずか数年以内で実務経験の浅い新人・若手弁護士,あるいは,そのような弁護士が多数を占める(そのような弁護士しか所属していない)法律事務所です。一見すると中立性を保っているかのように見える「弁護士紹介サイト」(実態は有料の宣伝広告)でも同様です。近年では,テレビ等のマスメディアに登場する弁護士も,そのような新人・若手弁護士が多数を占めるようになりました。そのような弁護士の中にも,もしかしたら本当に有能な弁護士がいるかもしれません。しかし,何の裏付けも示さないまま「〇〇専門」や「〇〇に強い弁護士」などと謳っているものが多数見られます。他方で,私がこれまでの実務経験の中で感じた有能な弁護士(私が評価するのも僭越ですが)や,そのような弁護士の所属する法律事務所のホームページは,一部の大規模法律事務所(テレビ等で宣伝している法律事務所ではありません)を除いて,ほとんど上位表示されません。営業努力が足りないと言われれば,そのとおりなのかもしれませんが。
そのような状況の中で,あまり営業活動を好ましく思わず,仕事に専念してきた弁護士も,営業活動に相当程度の時間を割かざるを得ず,仕事の合間を見つけてホームページの更新に努めている方々も多いのではないかと思います。私がこのホームページを立ち上げたのも,多くの方々にこのような実情を知ってもらいたいという思いがあったからです。
もちろん,ホームページの第一の目的は宣伝広告(集客)です。しかし,何の裏付けもないまま「〇〇専門」や「〇〇に強い弁護士」などと謳って,相談者や依頼者の選択を誤らせるような形で宣伝広告することは許されるべきではないと思います。すべての弁護士が等身大の自分自身を示したうえで,正しい情報の中で相談者・依頼者に選択してもらえるように最大限の自己アピールをすべきではないかと思います。
私自身も,ベテラン・中堅弁護士で多くの実績を持つ方々に比べれば,まだまだ実務経験や実績が不足しています。しかし,無理に背伸びせず,正直な情報提供によって,等身大の自分自身を示したうえで,私よりも実務経験や実績に勝る弁護士との比較でも「選ばれる弁護士」になれるよう,弁護士費用(着手金・報酬等)や誠実さ・敷居の低さの面でも努力を重ね,さらに実務経験と実績を積み上げていきたいと思っています。
ところで,元東京大学教授で現在は弁護士をされている高橋宏志先生の論考に「成仏理論」というものがあります。
これは,新司法試験制度が導入され法曹人口の大幅増によって多くの弁護士が食べていけなくなるという声に対するものですが,「人々の役に立つ仕事をしていれば,法律家も飢え死にすることはないであろう。飢え死にさえしなければ,人間,まずはそれでよいのではないか。その上に人々から感謝されることがあるのであれば,人間,喜んで成仏できるというものであろう。」(有斐閣「法学教室」307号・2006年4月号)ということだそうです。
私は,そこまで達観した考えを持っていません。
極貧生活をした経験のない者が「飢え死にさえしなければいい」などと軽々しく言えるものではありません。私は,経済的に恵まれていたわけではなく,両親の生活も支えなければならない中で,司法試験にもなかなか合格できず「路頭に迷うのではないか」と思った時期もありました。しかし,極貧生活までの経験はありませんので,本当にそのような生活を送った人々の苦しみは分かりませんし,「飢え死にさえしなければいい」などとはとても言えません。
私は,「人々の役に立つ仕事をしたい」という思いは持っていますが,少なくとも,両親や私自身が安心して平凡な老後生活を送れる程度の経済的基盤は確保したいとも思っています。現に,このホームページも,第一に集客(適度に安定的な依頼が入ること)を目的としたもので,利益や報酬を度外視しているわけではありません。さらに理想をいえば,自分の能力を過大でも過小でもなく正当に評価してもらって,仕事の労力や成果に見合った報酬は頂きたいと思っています。
「仕事の労力や成果に見合った報酬」をどのように評価するのかは難しい問題ですが,当事務所では,必ずしも「(旧)日本弁護士連合会弁護士報酬基準」どおりではなく,これまでの実務経験を踏まえた労力等を考慮して,弁護士費用(着手金・報酬等)を設定しています。そのため,日弁連の(旧)報酬基準で定められていても,弁護士活動の成果とはいえない結果については「報酬なし」とするなど,他の法律事務所の一般的な報酬基準とは大きく異なる点もあります。
当事務所の報酬基準については,「弁護士費用(報酬基準)」のページの中で,「なぜ法律相談(継続相談)で時間制を採用せずに定額制を採用しているのか」,「ある事件類型について,なぜ一般的な報酬基準よりも低額にしているのか(低額にできるのか)」など,その根拠をできる限りご理解いただけるように説明したつもりです。
また,「人々の役に立つ仕事をしたい」と思っていても,自分自身が経済的に困窮すれば,心にも余裕がなくなり,人々の役に立つ仕事もできないと思います。「貧すれば鈍する」です。
私が弁護士になったばかりの頃は,すでに弁護士が増えてきていましたが,まだ今のように競争が激しくなく,多くの弁護士が経済的にも精神的にもある程度のゆとりをもって,採算を度外視した公益活動にも取り組むことができました。しかし,今ではそのようなことも難しくなりました。弁護士が大幅に増えたことで,多くの方々にとって弁護士が身近な存在になったという面はあるかもしれませんが,弁護士であれば誰でもいいというわけではありません。大切なことは,相談者・依頼者が適切な法的サービスを受けるということです。弁護士大増員によってそれが実現されたかというと疑問です。
私は,地元地域で高齢者問題や地域コミュニティ問題を扱う団体に所属し,あるいは,地元住民との交流を深めるよう努めていますが,これも「他人のための慈善活動」というわけではありません。私がこのNPO法人に入会したのは,もともと両親や私自身が安心して老後生活を送るため(自分自身のため)に,地元住民が互いに協力して暮らせる地域コミュニティを形成(再生)したいという思いからです(ここしばらくは,なかなか時間がとれず,NPO法人の活動には参加できていませんが)。
高齢化社会が進行する中で国や地方公共団体も「地域包括ケアシステム」を構築するための施策を実施していますが,とても国や地方公共団体の施策だけに頼ってはいられません。老後問題は誰もが直面する共通の問題であって「お互いさま」ですから,地域コミュニティ内の住民が互いに協力すべきで,現時点では直ちに利益を享受しない若い世代も,率先して高齢者問題に取り組むべきであると思います。たとえば,近所の一人暮らしの高齢者や高齢者世帯の夫婦に対して,定期的な声掛けや見守りをしたり,手が空いたときや序でのときに買い物や雑用の手伝いをしたりすることなどは,さほど負担なくできると思います。そのような高齢者の見守りやケアの体制を地域コミュニティ内に形成することは,決して「他人のため」にとどまらず,自分自身の利益となって返ってくると思います。
もっとも,その利益は確実に保証されたものではありません。しかし,相手との信頼関係を構築することができれば,その相手から恩返しがあるのではないかと思いますし,仮に目の前の相手との信頼関係を構築することができなかったとしても,真摯な態度で地域コミュニティのための活動に取り組んでいれば,巡り巡って第三者に助けてもらえることがあるかもしれません。「情けは人の為ならず」ということでしょうか。
弁護士の仕事でも同じことがいえると思います。
目先の利益の多寡にかかわらず,一つ一つの事件に最善を尽くすという姿勢で仕事に取り組み,相談者・依頼者との信頼関係を構築することが,長い目で見れば結果的に自分自身の利益にもなると思います。私は,「人々の役に立つ仕事ができて飢え死にさえしなければいい」とは思っていませんが,「人々の役に立つ仕事をしたい」とは思っています。それは自分自身の利益にもなるからです。
弁護士大増員によって,弁護士間の競争が激化し,事務所経営でも経済的合理性が追求され,債務整理,交通事故,離婚,相続,刑事事件などの分野で簡易な定型的事件を大量に集客することが流行っていますが(これらの分野の事件がすべて簡易な定型的事件であるというわけではありません),このような事件ばかりを大量に集客したり,複雑・困難な事件を避けたりして,目先の利益優先に走れば,かえって自分自身にとっても不利益になると思います。「急がば回れ」ということでしょうか。
また,簡易な定型的事件ばかりを集めて,これを漫然と機械的に処理しているだけでは,経済的効率性は高いかもしれませんが,自分自身の精神的な安定や充実感・達成感も得られず,それこそ成仏できません。相談者・依頼者のために複雑・困難な事件にも取り組むという姿勢は自己研鑽にもなり,延いては自分自身の利益にもつながります。
私は,そんな複雑・困難な事件にも厭わず取り組み,自分の持てる能力のすべてを表現し,これに充実感と達成感を求める,いわば職人のような弁護士でありたいと思っています。